7.ソフトウェアは、言語ゲームである

大槻, 2014.02.17

 『新ソフトウェア宣言』を一言に集約するならば、「ソフトウェアエンジニアリングの世界で言語ゲーム的転回を進めよう」ということです。

 ヴィトゲンシュタインは近代分析哲学の基礎付けを行った哲学者です。大きく前期と後期に成果が大別され、前期と後期では全く異なった世界観を構成しています。前期の成果は『論考』(論理的・哲学的論考, 1921)として出版され、後期哲学は『探求』(哲学的探求, 1949)としてまとめられました。

 『論考』では、言語による記述(命題)の意味を、世界の事態の成立として定義しています。このことは、世界が言語の記述とは独立に(たぶん神が創造して)在り、それを語るために言語による記述があるという考え方です。世界の事実とは関係のない、信念や形而上学的な事項については、語ってはならない、つまり無意味だという主張です。いわゆる、命題論理の基礎付けを与えている哲学といえるでしょう。この「意味の対象説」は、20世紀初頭の論理実証主義を支える哲学になりました。

 ヴィトゲンシュタインは『論考』の世界観を捨て、後期哲学では「意味の使用説」として「言語ゲーム」という考え方を提唱しました。「物の世界」でも「事の世界」でもない、全ては「言語的事象の世界」であるという主張です。この「言語の使用」が即ち、「言語の意味」になっているという、後の言語行為論や状況意味論の基礎付けを行っています。

 ソフトウェアエンジニアリングというのが、プログラムコードの記述に限らず、あらゆる活動を<言語活動>や<言語現象>であるとみなすという立場は、とても有望です。無論、無意識や心理的な事項もありますが、最終的には言語として現れることになります。こういった『探求』とか『言語ゲーム』の哲学に基づいて、新しいソフトウェアの世界を構築していくことは、新たな地平を見るために必要なアプローチであると確信しています。

 ヴィトゲンシュタインの提唱した「言語ゲーム」の考え方は、産業界を活性化するための思想としての「プラグマティズム」にも通じるものがあります[Putnam1995]。『プラグマティズムの作法』[Fujii2012]では、専門化して縦割りになっている領域の壁を打破するために、それぞれの専門領域が外からどのように見えるか、どのように他人の役に立つかどうかを真摯に見直そうということを提唱しています。このコンセプトに従って、コミュニティ活動としてP-sec(実践的ソフトウェア教育コンソーシアム)のオープンフォーラムを開催しました[Psec2013a]。コミュニティ活動を含めて人間社会の仕組みをデザインする際に多様性を抱擁することはとても大切なことです。

 ソフトウェアが、利用面を含む文脈(コンテクスト)が中心となってきていること、時間経過とともに適応・変化していくことを考慮するには、ソフトウェアを取り巻く文法、規範、制度設計をしていかなくてはなりません。ハート(Herbert Lionel Adolphus Hart)は、言語ゲームを法律の領域に適用して、法の制定や改訂のプロセスを二層のルールのモデルで提案しています[Hashizume2009]。社会制度設計では、たとえ法律の世界であっても語り得ない世界があり、しかも、その世界をある程度制御する方法が必要になってきます。