使える仏教

大槻, 2014.01.01

 仏教に興味を持ったのは、この5年くらいのことです。2008年の正月に、濱勝巳さんが「ソフトウェアは、空(くう)である」と言い始めたのが契機になっています。私は仏教徒ではありませんが、その後、啓蒙書を何冊か読み[Hashizume2013] [Go2011]、共感するところもあり、腑に落ちる事項も多いため、少しずつ勉強し、自らの研究の基礎付けとしても活用し始めています。

 私が仏教の考え方に価値を置いている理由は、以下の3つに集約されます。

•西洋のものを、日本人が腑に落ちる形にするヒントが得られる
•暗黙知、あるいは、語り得ないことを扱う方法を提供している
•考え方を広めていくための社会的な仕組みのヒントが得られる

 最近では、仏教は葬儀の時にしかお坊さんにお目にかかりませんが、もともとは2千年以上昔に、お釈迦様(BC463〜BC383)が始めた宗教です。キリスト教が「救い」の宗教だとすれば、仏教は「覚り」の宗教と言えます。キリスト教文化では、神が中心であり、神との関係を起点とする「契約」が人の行動にさまざまな制約を課しています[Hashizume2011]。現代のビジネス活動もその枠組みは組織や個人との間の取引契約を結ぶことが基底となっています。この意味で、グローバル化すること、西洋文化を受け入れるということは、知らぬ間にキリスト教の考え方に影響を受けていると言えます。

 一方、日本は、八百万の神、自然とともに生きる文化で、人の関係性も和を中心とするもので契約の概念はありません。宗教観は柔軟で、こだわりもなく、仏教が大陸経由の儒教思想と融合したものとして伝来してきても、素直に受け入れています。

 日本人が異国文化を柔軟に取り入れるころができる理由は、国民性に依るところが大きいようです。イングルハート(Ronald F. Inglehart)の世界価値観調査によれば、世俗・合理的価値 × 伝統的価値、生存価値 × 自己表現価値 の2つの軸で世界の国々のアンケート調査結果を俯瞰すると、日本人は、世俗・合理的価値に極端に重きを置き、自己表現価値は先進国の中では相対的に低いところにマッピングされています[Tachibana2012]。従って、あまり宗教や思想に固執することなく、役に立つものは貪欲に、柔軟に取り入れるところが日本人の国民性と言えます。表面的な形と実質的な行動とを使い分ける器用さも備えています。

 さて、肝心の仏教についてですが、考え方として参考になるのは、お釈迦様の原点としての原始仏教です。「小乗」という差別的な呼び方をされることもありますが、思想としては、「大乗」より純粋です。自らが覚ることを重視する。まさに覚りの思想です。一切皆苦、諸行無常、諸法無我という三法印に集約されています。

 仏教では、自らの生き方を見つめ、心の奥底を内観していきます。「無我」を目指しますが、我の正体は五蘊(ごうん)である肉体、感覚、表象、意志、意識ですし、感覚器官の五根(ごこん)として眼根、耳根、鼻根、舌根、身根があります。覚りに至る道は、中道と呼ばれ、八正道としての正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定が示されています。基本的な態度の要点は、以下の通りです。

•世界を因果律によって理解する
•超越者の存在を認めない
•努力(修行)の領域を、肉体ではなく精神とする

 この人間中心の考え方は、科学的な態度と整合していますし、科学にとってもキリスト教の呪縛に比べるとずっと親和性が高いと言えます。仏教学者の佐々木閑教授は、この流れを「人間化」と呼んでいます[Sasaki2006]。

 大乗仏教は、お釈迦様の入滅後100年くらい経って、教義解釈の部派が乱立して分化していったものです。大乗は、利他、仏を目指す未完成の存在としての菩薩があり、そして、すべての民衆を済渡することを説いています。日本の鎌倉時代に伝来したのは、この大乗仏教になります。多くの宗派に派生したこと、そして政治とも結びついていきました。この展開については、宗教のみならず思想を展開していく際に参考になる点も多いと考えています。

 よくあるエセ宗教の楽して極楽に行けるとか、クリック一つでプログラムが生成されるといった言葉は大衆の心をつかむようです。霊魂の不滅とか、輪廻転生なども、大衆化する際の魅力の一つになります。何ごとかを組織的に展開していく際には、何らかの意味での「救い」や「ご利益(りやく)」によって求心力を保っていくことが戦略としては有効だと考えられます。