4.ソフトウェアは、学びの副産物に過ぎない

大槻, 2014.02.17

 ソフトウェアは、人が作り、人が使うものです。人、組織、社会が関わっているということは、そこには、認識の進展、知識の獲得、ノウハウの蓄積があり、これらが実は中心であり、ソフトウェアは知的活動の副産物に過ぎないというのが、この文の主張です。
 常に学び続けることが人の本性であり、常に組織知能を高めていくことが組織経営の基本です。経営手法でよく使われるバランス・スコア・カードでも、主要な観点の一つに「学習と成長」を掲げています。収益を上げることを財務的な目標としつつも、顧客の観点、内部プロセスの観点との関連づけが必要ですし、最終的には組織力というのは、人材や組織の学習と成長無しには向上させることができません。

 ソフトウェアの実行は、実世界に影響を及ぼします。ソフトウェアも変化していくでしょうし、それに関わる人の認識や、システムやビジネス環境も動的に変わっていきます。このダイナミズムを中心にすえて、「学ぶ」ということの本質を明らかにしていくことが、実は次世代のソフトウェアづくりを考える近道なのかもしれません。


 我々は日々、仕事をし、勉強し、遊び、生活をしながら、いろいろな事柄の理解を深め、学習し、覚っていきます。このことにより人は安心します[Yasutomi2011]。何か目標を設定して、それを実現するという考え方では、人は幸福にはなれません。成長し続けること、学び続けることが大切です。社会というのは、常にそれぞれの人々が学び続けることが常態なのです。その人々の活動の中でソフトウェアは、開発され、維持され、廃棄されるものです。

 では、学習し続ける社会的な仕組みをどのように作っていけばよいのかという問いに対する一つの解が、コミュニケーションの方法を提供することです。「コミュニケーションとは、お互いに学習するプロセスである」ということを、安冨歩は『経済学の船出』[Yasutomi2010]の中で述べています。このアイディアに基づいて、知働化研究会では、「知のフリマ」[Otsuki2012b]というコミュニティ活動の方法を提案し、展開しています。これはソフトウェアのみならず、いろいろな異文化の人々が互いにコミュニケーションを通じて刺激し合い、成長していく場を提供しています。

 社会的・組織敵な活動の仕組みで、もう一つの局面が、知の蓄積をどのように図っていくかという問題があります。「知のフリマ」でもコミュニケーションの直接の成果は、各自の成長ということになりますが、これを何らかの形で蓄積していくことも検討していく必要があります。私は、これ等を総称して「知のプラットフォームの構築」という問題設定をしています[Psec2013b]。

 知のフリマは一つの実験的な活動ですが、こういった社会的な仕組みとソフトウェアに関する活動とを連係させて、新しいソフトウェアづくりに取り組んで行くにはどうしたらよいかというのが、現時点の問題認識です。